公開日 2023年11月4日 最終更新日 2024年3月11日
初日の初回に観てきました!
ゴジラはただ歩くだけで
爆音が轟くので大迫力です。
是非、映画館で楽しみましょう♪
◆追記 2024年3月11日
『ゴジラ-1.0』第96回アカデミー賞
「視覚効果賞」を受賞!
日本のゴジラの力が世界に轟きました!
とっても嬉しいですね!
『ドラマ』という言葉の定義は? 『シン・ゴジラ』はドラマが弱い!?
ここはドラマの定義の説明なので、興味のない方は飛ばしてOKです!
ドラマの定義って意見が分かれますよね。
ただ概ね、広義か狭義かという問題に過ぎません。
まずは広義について調べてみましょう。
ドラマ
大辞林:ドラマ
(1)劇。特に,放送用に製作されたもの。
(2)戯曲。脚本。
(3)人の世に生じる劇的な出来事。
映画の感想でドラマがあるという場合は、劇的な出来事という意味で使われていますね。
そして、物語上で劇的な出来事を作ろうとすると、主人公が目的を前にして障害に阻まれて、葛藤したり、対立する必要があります。
なので、『ドラマは葛藤である』とされているんですね。
ちなみに葛藤という言葉の意味は、『悩み苦しむこと』です。
ドラマとは主人公の悩み苦しむ姿が表現されているもののことなのです。
そして、葛藤には二種類あります。
心理的葛藤(解釈)と物理的葛藤(事実)です。
主人公に対立する二つの気持ちを持たせ、その間で揺れ動かせば『迷っている人』
主人公に目的を持たせ、その目的に向かおうとする主人公に障害物をぶつけ、主人公が乗り越えようとすると、また障害物をぶつけていくのが『イライラしている人』
いきなりドラマを面白くするシナリオ錬金術 P.63:浅田 直亮
迷っている人→心理的葛藤をしている
イライラしている人→物理的葛藤をしている
さて、『ドラマがある映画』とは、この両方の葛藤があることを指すのでしょうか?
少し違和感がある方は鋭いですね。
想像して下さい。
映画を借りにレンタルビデオ屋さん(今はサブスクが主流ですが)に足を運んで、「今日はアクション映画を観たいなぁ」と思ったとして、あなたはドラマのコーナーに行きますか?
先ほどの定義では、『イライラしている人→物理的葛藤をしている』はアクションにも当てはまりそうですけど。
例えば、『ダイ・ハード』とか『スピード』といったアクション映画はピンチに次ぐピンチでイライラするできごとが起きますけど、ドラマに入ると思いますか?
ドラマコーナーにある作品とはイメージが違いますよね。
実は物語創作において、ドラマは狭義の『ヒューマンドラマ・人間ドラマ』を意味する場合が多いのです。そして、ヒューマンドラマは心理的葛藤、つまり『迷ってる人』をメインにした作品が大半です。
ここで、映画化もドラマ化もアニメ化もした人気マンガ『DEATH NOTE』について考えてみましょう。あなたはこの作品はドラマ重視だと思いますか?
少し長いですが、『DEATH NOTE 13巻』に記載されている原作者のインタビューを観てみましょう。
『DEATH NOTE』は人間ドラマを描かなかったからこそ、
DEATH NOTE 13巻 P.66:小畑 健 (著)、 大場 つぐみ (原著)
あれだけスピーティーな展開ができたんでしょうね。
ドラマを描くと、どうしても重たい話が出て、
ストーリーのスピードが削がれていたかもしません。
それに人間ドラマって、哲学的や説教的になりやすいので、
そっちに寄りすぎると面白くなくなっていくと思うんです。
だからドラマ要素は切り捨てて正解だったと、
今改めて思ってます。
このように、ドラマを心理的葛藤(迷っている人)という意味で使っていますね。なので、主人公の『夜神 月』は自分の行動に対して迷いがないんです。
『ダイ・ハード』や『スピード』の主人公も、目的達成のために突き進みます。一切迷いがないですね。つまり、心理的な葛藤がない。
だから、ドラマコーナーに置いていないのです。
逆にドラマコーナーにはヒューマン・ドラマばかりが並んでいますね。『タイタニック』、『ショーシャンクの空に』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』などの、いわゆる泣ける映画ですね。
ドラマは成長物語を得意とするので、感動と相性が抜群なのです。
具体例を見てみましょう。
物理的葛藤を重点的に描写するとイライラしている人になり、心理的葛藤だと迷っている人になるのがご理解いただけると思います。
ドラマとは、この迷っている人の成長を描く物語なのです。
事実に対する解釈によって、人間ドラマが生まれるという構造ですね。
では本題です。
『シン・ゴジラ』は、どういった作品でしょうか?
物理的問題を前にイライラしている登場人物が多いので、広義の意味でドラマが強い。一方で、迷っている人は少ないので狭義の意味ではドラマが弱い。
広義→ドラマが強い
狭義→ドラマが弱い
少し前にネットでシン・ゴジラには『ドラマがあるない論争』がありました。
言葉の定義が人によって違うので、同じことを言っていても誤解が生じる場合があるんですね。他人の意見を聞くときは、言葉の意味合いを理解しないといけません。
あと、『ドラマが弱い=悪い作品』というわけでは全くありません。
ドラマがあるとできごとの量が少なくなってしまいます。登場人物の反応を多く描くわけですから当然ですよね。
例えば、120分の映画で主人公の反応を100分も描写すると、その分できごとの描写が圧迫されます。これでは場面が少なすぎますよね。できごととキャラの反応の量は、トレード・オフの関係です。
なので、『シン・ゴジラ』のできごとがポンポンと進む気持ち良いテンポのスピード感は、ドラマを省いている効果なのです。ちなみに私は劇場で3回、DVDで20回以上観るほど好きな映画です。
狭義のドラマ、つまり心理的な葛藤という定義は、このブログも採用しています。
物語で起きた『できごと』を『ストーリー』、『キャラ』の心情を『ドラマ』と呼んでいます。他の記事でも統一した概念なので、把握していただけると助かります。
『ゴジラ-1.0』はドラマ寄りで『シン・ゴジラ』との差別化に成功!!
私は『シン・ゴジラ』が大好きです。元々、ゴジラ作品自体に興味はなかったのですが、脚本・総監督が庵野秀明氏ということと、異様な緊張感が溢れている映画予告を気に入り、公開日に観に行きました。
当時は面白いかどうかというよりも、軽いショックを受けたのを覚えています。
結果、翌日に別の映画館で2回観ました。
それ以降、ハリウッド版のゴジラも観ていますが、『シン・ゴジラ』の衝撃には勝てませんでした。
そして、2023年11月3日。
今回はVFXの巨匠・山崎貴監督がゴジラに着手しました。
正直、映像に定評がある山崎貴監督であっても、莫大な予算で手掛けるハリウッド版ゴジラには勝てないと思っていました。つまり、勝てない土俵でよく戦うなぁ、と。
事前にyoutubeで山崎貴氏と庵野秀明氏の対談動画も観ていましたし。
予算も上げていかないといけないしね。
【山崎貴×庵野秀明】第4回山崎貴セレクションゴジラ上映会トークショー
向こうに比べると何十分の一ですから。
二十数分の一ですね。
大変ですよね。
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が約250億円ですからね。
その二十数分の一・・・・・・。
しかし、結論からいうとめちゃくちゃ好きなゴジラでした!!
その理由は3つあります。
1.迫力があること!
2.カッコ良いこと!
3.応援したくなる主人公!
好きな理由①迫力がある
調べてみると今回のゴジラは50.1メートルと初代ゴジラより10センチ背が高いだけで、比較的小さいです。だからこそ、人間との距離感が近くで臨場感があるんですね。
登場人物をアップで映した時に、ちゃんとゴジラの顔や体も入るので関係性がわかりやすいです。もし、ゴジラが大きすぎると全身を入れるために引きの絵が多くなりすぎて客観的になってしまいます。
また、身長は相対的に小さくても破壊力はとてつもなくて、潰せないものはないといわんばかりの暴れん坊っぷりなのも興奮しました。
ちなみにシン・ゴジラは歴代最高身長(アニメ版除く)の118.5mです。
なので、人間と同じフレームに入れると迫力がないんですね。デカすぎて。
好きな理由②カッコ良い
シン・ゴジラは圧倒的な『神感』がありました。意思すら感じさせず、生物感がなかったです。そこがハリウッド版ゴジラとも異なっており、日本のモンスターらしく好きな要素でした。また移動速度も動きは遅いのに、尻尾はぶんぶん振るのも独特な印象です。
今回のゴジラは生物です。
明確な意思を持って人間を襲ってきます。海上で頭を出しながら、主人公達の乗った船を追いかけてくるシーンは、犬かきで泳いでいるワンコみたいで可愛いと同時に、やはりカッコ良い。
イメージは超巨大なワニといった所でしょうか。ロマンを感じる造形ですよね。
また、背びれも良い!
尾側から徐々に頭に向かって隆起していく背びれの動きがとにかく痺れます。しかも、発光してますから、美しいんですよね。ここは生物というよりはメカっぽいカッコ良さです。
そして、一番は放射熱線の破壊力が素晴らしい。いや、破壊力というよりも爆発力がとてつもないですね。予告編で本土に核兵器を落とされたのかと思ったら、まさかゴジラの熱線だったとは!
ゴジラといえば放射熱線。そこが巨大トカゲとの差です。
毎回どんな放射熱線を吐くのか、もはや大喜利のようになっているので、制作者は大変ですね。
今回は1.背びれの隆起&発光、2.吐く直前に空気を吸い込む溜め込み、3.思いっきり吐き出す、という仕組みになっていました。
2の溜め込みがあるからこそ、3の放出の勢いが凄いイメージができます。クライマックスのこちらに向かって放射熱線を吐こうとしている場面は緊張感があって怖かったです。けどカッコ良い。
好きな理由③応援したくなる主人公
神木隆之介氏演じる敷島浩一は、臆病な主人公です。これは物語の構造『ヒーローズジャーニー』の典型的な初期状態ですね。
特攻隊員なのに、整備不良だと嘘を付いて生き延びてしまいました。これが第一の後悔。そして、初期の比較的小さな状態のゴジラが現れた際に怯えて戦えなかったことで、仲間を犠牲にしてしまった。これが第二の後悔です。
この二つの後悔が敷島を苦しませます。
戦争が終わっても、未精算の過去として囚われ続けてしまうのです。
シン・ゴジラの主人公は日本という国そのものですが、あえて一人焦点を当てるなら長谷川博己氏演じる矢口蘭堂です。彼は憧れ型主人公で、迷いが一切ありません。常に正しく、前を向いています。少しだけ、落ち着かない場面はありましたけどね。
逆に敷島浩一は共感型主人公で、等身大の弱い人間です。終戦後、両親を失い隣人のおばさんに「恥さらし」と罵られて絶望している中で、ひょんなことから疑似家族を作ります。
ただ、大切な人ができたことで最初にゴジラに殺された仲間にも家族がいたことを思い出し葛藤します。
心理的葛藤はドラマでしたよね。
今作はストーリー重視のシン・ゴジラと異なり、ドラマ重視なのです。もちろん、ゴジラ映画という括りの中でですが。
命を張って戦わないといけない状況の中で敷島浩一の行動は自己保身でした。しかし、物語を通してゴジラを倒すことができるのは自分しかいないと自己犠牲する覚悟をします。
『自己保身→自己犠牲』、この変化は『ヒーローズジャーニー』です。ゴジラという神を倒す英雄の物語なのです。
今作で人間ドラマパートが長いと思う方もいるかもしれないですが、臆病だった兵士が神に挑めるように成長するにはそれだけ丁寧な心情描写と変化が必要ということですね。
ドラマに尺を割いているからこそ、観客は主人公に感情移入して応援できます。
さて、『シン・ゴジラ』と比較することで『ゴジラ-1.0』の戦略が見えてきましたね。
様々な要素でシン・ゴジラと差別化するための工夫が感じられて面白かったです。
正統派ゴジラを国産でもやれる。そう感じるよ
『ゴジラ-1.0』と『シン・ゴジラ』の比較表
ゴジラ-1.0 | シン・ゴジラ | |
(総)監督 | 山崎貴 | 庵野秀明 |
スタイル | ドラマ重視 | ストーリー重視 |
キャラクター | 敷島浩一(神木隆之介) | 矢口蘭童(長谷川博己) |
キャラの問題 | 臆病で死ぬことが怖い | 有能だが権限がない |
ワールド | 戦後復興し始めた日本に ゴジラが再び絶望を与える | シンゴジラの登場で平和ボケした 日本政府が覚醒する |
ストーリー | ゴジラの東京再上陸を防ぎ 海上で仕留める作戦を実施する | シンゴジラの危険性により 東京への核投下が決定する |
ドラマ | 戦争で死に損ねた臆病な兵士は 国家・家族を守るために立ち上がれるのか | 日本は脅威を自らの力で 排除するだけの力を持っているのか |
ゴジラの特徴 | 放射熱線は一発で大爆発を起こす 破壊力を持っている | 放射熱線は飛行物体を確実に 撃墜するシステム的な性能 |
造形 | 人間を視野に入れ追いかけたり 噛みつくなど生物的 | 神を彷彿とさせる直立不動で非生物的 |
魅力 | カッコ良い | めっちゃ怖い |
目的 | なわばりの拡大 | 不明 |
撃退方法 | 口内への爆弾投下により身体を崩壊させる | 凍結作戦により活動を停止させる |
復活の予感 | 内臓が修復して再生する兆し | 尻尾が複数の小型&人型の 第五形態に変質している |
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